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親の「無表情」は、子どもの脳に何をもたらすのか

幼い子どもにとって、親の顔は「心の鏡」と言われます。 親の笑顔や声かけは、赤ちゃんに安心感と喜びを与える大切な手がかりです。
しかし一方で、親が無表情で接すると、子どもの心にはどのような影響が及ぶのでしょうか。
これは単なる育児疲れだけでなく、産後うつや強いストレス、情緒の乏しさを伴う精神状態(例: うつ病や自閉スペクトラム症など)といった多様な要因によって生じる可能性があります。

そこで今回は、臨床心理学と非言語コミュニケーションの研究知見に基づき、「親の無表情」が子どもの愛着形成、感情の自己調整、社会的認知に与える影響について解説します。


実験で見る無表情の影響: スティルフェイス実験

親の無表情が子どもにストレスを与える典型的な例として、「静止顔(スティルフェイス)実験」がよく知られています。この古典的実験では、親が赤ちゃんと笑顔で遊んでいる最中に、突然表情を消して無反応になるよう指示されます。すると赤ちゃんは戸惑い、あやしたり笑わせようとあらゆる働きかけをしますが、それでも親が反応しないと、数十秒以内に泣き出し体をよじって強い抗議や不安を示します。親が再び普段通りに微笑みかけてあやすと、赤ちゃんは落ち着きを取り戻しますが、明らかに先ほどの無反応に対して警戒した様子も見られます。トロニックら (Tronick et al., 1978) の報告したこの現象は、わずかな時間でも親子の情緒的なつながりが断たれると子どもに強いストレス反応が起きることを示しました。この実験は、親の注意や表情が乳児の健全な発達にどれほど重要かを直感的に物語っています。
もっと重要なのは、日常的にこうした「無表情」による応答の乏しさが続くとどうなるかです。もちろん、誰しもスマートフォンを見ていて一時的に子どもへの反応が薄くなることはありますし、その一瞬だけで深刻な害が生じるわけではありません。問題はそれが慢性的なパターンになった場合です。次節から、継続的な親の無表情・低反応が子どもの心の発達に与える具体的な影響を、研究知見を踏まえて見ていきましょう。


愛着形成への影響

子どもは生まれてから最初の一年ほどで、養育者との間に基本的な愛着(アタッチメント)関係を築きます。親が子どもの泣きや笑いに一貫して応じ、安心感を与えていれば「安全基地」として信頼されるようになり、安定した愛着が形成されます。一方、親が情緒的に応答してくれない場合、子どもは「自分がどんなにサインを出しても反応してもらえない」と学習し、心の中に不安や諦めのモデルを形成してしまいます。こうした状況下では、子どもはしだいに親にサインを送ること自体を減らしたり、逆に不安から過度にしがみついたりするようになります。その結果、不安定な愛着スタイル(たとえば不安-回避型やアンビバレント型など)が生じやすくなると考えられています。
実際、母親のうつ状態は子どもの愛着の不安定さと有意に関連することがメタ分析で示されています。BarnesとTheule (2019)の分析によれば、うつ病を抱える母親の乳児は、健常な母親の乳児に比べて約2倍の確率で不安定な愛着を示すことが報告されました。親の 感情表出の平板さは必ずしも親子の愛情不足を意味しませんが、結果的に子どもに「心理的な手ごたえのなさ」を経験させてしまい、それが愛着形成にマイナスに働くリスクがあるのです。親の無表情が続く背景には、産後うつ病や極度の疲労、トラウマによる感情麻痺など様々な理由がありえます。重要なのは、その原因の多様性に目を向けつつも、子どもの視点から見た影響を軽視しないことです。親自身の支援(メンタルヘルスのケアなど)によって親子の情緒的な交流が改善すれば、愛着関係も修復可能であることが研究から示唆されています。




感情の自己調整への影響

赤ちゃんや幼児は、自分一人では高ぶった感情をうまく整えることができません。そこで鍵となるのが、親との共調整(コレギュレーション)です。親がタイミングよくあやしたり抱きしめたりすることで、子どもの泣き声や不安は和らぎ、徐々に自己調整のスキルが育まれていきます。ところが、親が常に無表情で反応が乏しいと、子どもは外部から情緒を調整してもらう機会を失ってしまいます。親は本来、子どもの生理的・情緒的ストレスを一緒に調整する「他律的な調整者」ですが、親が感情的に不在の状態ではその役割が果たされません。その結果、子どもはストレスを自力で処理しきれず過度に高ぶったままになったり、逆にストレスへの反応を諦めて感情を引っ込めてしまったりすることがあります。

たとえば、母親が産後うつで平坦な感情しか示せない場合、母子の相互作用は乏しくなりがちです。Tiffany Fieldらの研究(2009) によれば、うつ病の母親をもつ乳児は、生後すぐの新生児期から人の顔や声への反応が薄いことが観察されています。生後3〜6か月頃には、そうした乳児は実験的な静止顔場面でも母親の無反応に対しあまり泣いたり怒ったりしなくなる傾向がありました。一見「手のかからない」ようにも見えますが、これは日常的に母親から十分な情緒的反応を得られないため、抗議しても無駄だと学習してしまっている可能性があります。

実際、Fieldらはこのような乳児の反応低下を「母親の無反応に慣れてしまった結果」と解釈しています。つまり、親が笑顔を返さない環境では、子どもは自己表現やネガティブ感情の発散を抑え込みがちになる危険性があるのです。こうした初期のパターンは、その後の子どもの不安傾向や情緒不安定にもつながりうると指摘されています。幼少期に慢性的な情緒的ストレスを感じた子どもは、将来的に不安症状や行動上の問題を抱えやすいことが報告されており、親子の情緒的な関わり不足がその一因となりえます。

もっとも、希望もあります。親が適切なサポートを受けて感情的に子どもに寄り添えるようになると、子どもは再び共調整の経験を積み、遅れを取り戻すことができます。研究によれば、母親の敏感さ(タイミング良く温かく反応する能力)は乳児の情緒調整力の未熟さを補う緩衝材になりうることが示唆されています。言い換えれば、たとえ親が一時的に平坦な感情状態に陥っていても、適切な介入により親子の情緒的なやりとりが回復すれば、子どもの感情調整能力の発達も軌道修正できるのです。



社会的認知への影響

子どもは成長の中で、周囲の人の表情から「相手が何を感じているか」を読み取る社会的認知や感情理解の力を身につけます。この土台は乳児期の親子交流から築かれます。親が豊かな表情で喜怒哀楽を示し、それに言葉を添えて教えることで、子どもは「笑顔は嬉しい気持ち」「怖い顔をしたら近づかない方がいい」等を学んでいきます。しかし、親が常に無表情でいると、子どもは感情表現と内面の結びつきを学ぶ機会が減ってしまいます。その結果、他人の感情を読み取るスキルの発達が遅れる可能性があります。

たとえば、母親の抑うつ症状が幼児期の子どもの表情認識能力にマイナスの影響を及ぼすことが報告されています。具体的には、母親に抑うつ症状がある子どもほど、感情表情を正しくラベリングする精度が低い傾向が見られたのです。一方で、母親が敏感に子どもの情緒に応じている家庭の子どもは、特に「悲しみ」や「怒り」といった感情をより正確にマッチングできた(表情から読み取れた)という結果も示されています。このように、親の情緒的な関わりの質が子どもの感情解読力に影響を与えることが示唆されます。

他の研究では、感情表現の乏しい親の子どもにはいくつか興味深い傾向が報告されています。Joormannらの研究によれば、うつ病歴のある母親をもつ娘は、そうでない子どもに比べて「怒りの表情の識別に誤りが多く、悲しい表情を認識するのにもより強い表情の強度が必要だった」といいます。また別の研究では、抑うつ的な母親の幼児は、他者の嬉しい表情に対する反応感度が低いという報告もあります。これは、普段から家庭内でポジティブな表情を見る機会が少ないために、「喜び」の表情シグナルに気づきにくくなる可能性があります。

一方で、悲しみや怒りなどネガティブ感情には過敏になりやすいとも指摘されています。このような偏った感情認知パターンは、将来的な対人関係や共感能力にも影響しうるでしょう。幼少期に親から十分な非言語的メッセージ(表情や声色)を受け取れなかった子どもは、学校や社会でのコミュニケーションで戸惑いを覚えたり、他者の心情を推測するのに時間がかかったりするかもしれません。

もっとも、人間の適応力は高く、たとえスタートが遅れても挽回は可能です。Pelaezら (2013) の研究では、抑うつ症状のある母親の子どもでも、適切な訓練によって大人の表情を手がかりに行動を決める能力が向上したことが示されています。親が笑顔や怖い顔を見せ、それに合わせて子どもが行動する訓練を行ったところ、子どもは以前よりも頻繁に母親の顔色をうかがい、母親の表情に応じて新しい物体に近づいたり避けたりできるようになったのです。この結果は、たとえ親の情緒不調で一時的に子どもの社会的認知の発達が遅れても、環境と関わり方の調整次第で取り戻せることを示唆しています。




今回は、親の無表情が子どもの心に与える影響について、愛着、感情調整、社会的認知の側面から見てきました。

ポイントは、親の低い感情反応性が長く続くことは子どもにとって望ましくないものの、親自身を責めるのではなく、そこに至る様々な背景に目を向けることです。親が無表情になってしまうのには、極度の疲労や産後うつ、心配事、あるいは個々の気質など多くの理由がありえます。大切なのは、親も完璧ではないという前提で、必要なサポートを得ながら子どもと向き合う努力を続けることでしょう。

子どもは親からのサインに飢えています。たとえ笑顔を向ける余裕がない日でも、温かい声色やスキンシップだけでも子どもには安心材料になります。逆に言えば、短い時間でも構わないので意識的に子どもと目を合わせ、表情を交わすひとときを持つことが、健やかな心の発達に寄与します。親の表情という非言語メッセージは、言葉以上に子どもの情緒を支える栄養なのです。

もし「自分は最近子どもに無表情で接してしまっているかも」と感じる親御さんがいたら、自分を責めすぎないでください。まずはご自身の疲れや心の健康に目を向け、必要なら周囲に助けを求めましょう。それと並行して、ほんの少しでも笑顔を作ってみる努力をしてみてください。子どもは敏感にそれを感じ取り、嬉しそうに応えてくれるはずです。その小さなやりとりの積み重ねが、子どもの安心感と心の成長にとってかけがえのない財産になります。

親の暖かな表情と応答は、子どもの情緒発達の土台です。忙しい現代ですが、顔を上げて子どもと向き合う時間を大切にしたいものですね。親子の微笑みのキャッチボールこそが、健全な心を育む一番の近道なのです。



参考文献


  • Barnes & Theule (2019)Barnes, J., & Theule, J. (2019). Maternal depression and infant attachment security: A meta-analysis. Infant Mental Health Journal, 40(6), 817–834. 
  • Field, Diego, & Hernandez-Reif (2009)Field, T., Diego, M., & Hernandez-Reif, M. (2009). Depressed mothers’ infants are less responsive to faces and voices. Infant Behavior and Development, 32(3), 239–244. 
  • Pelaez et al. (2013)Pelaez, M., Virues-Ortega, J., Field, T. M., Amir-Kiaei, Y., & Schnerch, G. (2013). Social referencing in infants of mothers with symptoms of depression. Infant Behavior and Development, 36(4), 548–556. 
  • Székely et al. (2014)Székely, E., Lucassen, N., Tiemeier, H., Bakermans-Kranenburg, M. J., van IJzendoorn, M. H., Jaddoe, V. W. V., Hofman, A., Verhulst, F. C., & Herba, C. M. (2014). Maternal depressive symptoms and sensitivity are related to young children’s facial expression recognition: The Generation R Study. Development and Psychopathology, 26(2), 333–345.
  • Tronick et al. (1978) Tronick, E., Als, H., Adamson, L., Wise, S., & Brazelton, T. B. (1978). The infant’s response to entrapment between contradictory messages in face-to-face interaction. Journal of the American Academy of Child Psychiatry, 17(1), 1–13.

 
 
 

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